それは遠く離れていても 何か大きなものでつながれていた
今年で75歳になった父が、産まれ故郷の富山に帰った。
「もう戻るつもりはない。
一番好きな場所で、最後はのんびり暮らしたい」
母さんを一人置いて、最後はのんびり暮らしたいだなんて。
イチョウの葉っぱがちょうど黄金色に染まったころ、
父はカバンひとつで出て行った。
母は黙ってテレビに向かっている。
「お父さんってやっぱり変だね。昔から勝手だったけど」
連絡先も誰も知らない。でもなんで急に。
母はすっと立ち上がり、
オレンジ色のファイルを引き出しから取り出した。
「お父さん、これ置いてったのよ」
「何これ?きちんとファイル?」
そこには、母が一人でも十分に暮らしていけるだけの
保障内容が刻まれていた。
どうして父も母も何も言ってくれないんだろう。
父は長年糖尿病を患い、もうそんなに長くない。
父も母も何も語らない。
これから先も何も語らないだろう。
だが、このオレンジ色のファイルが2人の言葉を語ってくれる。
母はファイルを丁寧にたたみながら、引き出しに戻した。
「これがお父さんなんだね」
もっと家族にすがって、頼っても本当はいいのに。
私はこのきちんとファイルに父のプライドを重ねた。
部屋から荷物は無くなったが、
父が母に残していったのは、父の夫としての存在。
それは遠く離れていても、何か大きなものでつながれていた。